現在、個人事業主として働くかたわら本ブログを運営しております。会話や人間関係について研究し続けているのは、私自身がコミュ障で、ふつうからとおく離れている、社会生活不適合者だからです。人は恐怖だった。ずっと孤独でした。今では少しマシになりましたが、十分ではありません。コミュニケーションについて学び続けられるのはこのためです。
過去をざっくりまとめます。1988年生まれ。子供のころから変人のコミュ障でした。おそらくは発達障害がある。常識やマナーやエチケットを学ぶことが困難でしたし、人の心や暗黙のルールを理解するのも苦手でした。その気がないのに人を怒らすことがしょっちゅうありました。同級生が興味を持つことに自分は興味を持てなかったり、逆に妙なことにこだわりをもっていました。またミスや思いこみが異常に多かった。感情を調整するのも下手で、授業中に怒って鉛筆を折ったり、犬のようにうなったり、誰もわからないような理由で泣いたりしていました。たまにいじめられることはあったが、苛烈なものではなく、中学生まではクラスの一員として何とかやっていました。(今になって彼らには感謝している。良い連中だった。)しかし高校からついていけなくなり、疎外感や劣等感とともに、一人でいる時間が増えていきました。思えばこのころから、自己嫌悪,自責,反芻思考が悪癖となり、鬱,睡眠障害,自律神経失調症,希死念慮が頻発するようになった。
19歳のころから哲学的問いに迷う。自我,魂,死後,人生の意味,なぜ自殺してはいけないのか,自由意志と決定論,真実と価値観,倫理の客観性とその意味,どうしてこんなに苦しいのか,苦しみに意味はあるのか…….こういった問いでした。以来これらの問題のために生きることになる。鬱になってひきこもり、大学はドロップアウトする。
25才で上京し、鬱や睡眠障害と格闘しながらアルバイトを転々として、友達も恋人もいない読書ばかりの孤独な日々を過ごす。どこで何をやってもダメだった。普通の人間が普通の努力でできることを、頑張っても頑張ってもできない。哲学的問題を解決するために生きていたのだが、人間関係の問題の方も解決せねばと奮起して、バーに行ったりストリートナンパしたりするが、うまくいかない。
28才で思い切って歌舞伎町のホストになるが、失敗して終わる。ストレスで過食嘔吐を繰り返す。
29才、再びアルバイトをしながら身を立てる道を模索する。ようやく科学的根拠のある健康法やメンタルヘルスケアについて学び、調子が良くなっていく。
34才のころには経済的に安定して、様々な弱点を克服し、哲学的な問題にも一区切りがつき悩まなくなる。残る問題は”人”だけになった。
自分のやりたいことはやってきてある程度獲得はした。しかしそれを言い訳にして人から逃げてきた。今はそのツケを払うために、人と向き合う覚悟です。37才、春。